高橋曻さん逝去

Written by じび on 10月 24th, 2007
Summary:

カメラマンの高橋曻さんが亡くなられた。それを知ったのはつい昨日。インターネットを検索して情報を集めると、9/3に亡くなられたらしい。 曻さんとは浮き球三角ベースで知り合った。沖縄大会の打ち上げのとき、カメラマンたちが集ま […]

カメラマンの高橋曻さんが亡くなられた。それを知ったのはつい昨日。インターネットを検索して情報を集めると、9/3に亡くなられたらしい。

曻さんとは浮き球三角ベースで知り合った。沖縄大会の打ち上げのとき、カメラマンたちが集まって話しているとなりにたまたま居合わせて、話しの流れで「こんなの持ってますよ」と私のCanon FXを見せたら、「へー」と興味を持ってくれたのが始まりだった。「よし、じゃあ撮ってやるから」と言われて、私とカミさんの写真を撮ってくれた。会場は薄暗く、カメラにはフラッシュが付いていなかったが、照明が明るく背景が鏡になっているスペースを素早く見つけ、「表情堅いよ。もっと笑って」といいながら笑顔を引き出していたのは、さすがにプロだった。出来上がった写真はとても良い出来で、今でも額に入れて家の居間に飾ってある。

そのころカミさんは妊婦だったので、曻さんにはその後も「妊婦」と呼ばれた。大会中に何度も顔を合わせるうちに、いろいろ話す様になった。曻さんは沖縄の離島にも度々行っていると聞き、その後の新婚旅行で沖縄の離島でのんびりしたいと思っていた所だったので、どこがいいですかねーと聞いたら「竹富島が良いよー」と言われて、行ってみた。竹富島は本当にとても良く、沖縄最後の楽園だった。

その後、関東での試合で会った時、二人目の子どもがはいはいするくらいの時だった。この時は曻さんの娘さんも一緒だった。その時はContax T2を持っていたのだが、また「撮ってやるよ」と行ってくれて、二人目の子どもが一面のクローバーではいはいする所を撮ってもらった。自分でも同じ様に撮ったのだが、出来上がってみると全く別もの。同じカメラで同じ場面を撮っても、プロの写真はなんであんなに見栄えが良いのだろう。不思議なくらい素晴らしい写真だった。

最後に曻さんに会ったのは、やはり関東の大会だった。私はその時いなかったのだが、子ども三人が並んでいて絶好のシャッターチャンス。カミさんが曻さんに撮ってやるからカメラ貸せと言われたが、カメラは私が持って行っていたので手元になし。じゃあ携帯でいいからと言われたが携帯も持っていない。結局子どもが気づいてしまい、シャッターチャンスは去ってしまった。カミさんはそれが心残りだと言っている。

今、インターネットで「高橋曻」と検索するとたくさんの人が、お悔やみの言葉を述べている。また開高健さんとの本もたくさん出て来る。浮き球三角ベースは椎名さんを始め、いろんな人がいるので、曻さんがこんなに有名な人だとは思ってもいなかった。私にとっては気さくで面白い子ども好きの浮き球三角ベースのおじさんだった。

遅まきながら曻さんの冥福をお祈りします。

 

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