アリマス アリマセン
アレ ハ ナンデスカ
To be or not to be
this is the question.
杉浦日向子著「東のエデン」より
明治六年に上演された日本語によるシェークスピア
しばらく前の話しになりますが、カミさんと子どもたちが、ゴーゴーミッフィー展に行って来ました。
そのお土産にこのマグカップを買って来てくれました。
これを手にもって飲んで行くと・・・
こんな風に顔が見えてくるんです。
面白いですよね。(^^)
2006年10月1日、コミックマーケット(コミケ、コミケット)の創立者の一人にして、第二代代表を務めた、米澤嘉博が53歳でこの世を去りました。その訃報を受けた同じく創立者の一人にして、初代代表を務めた原田央男が「創設当時を知る初代代表として、コミックマーケット誕生のいきさつを今のうちに書き残しておくべきではないのか。」「それも日本のまんが界におけるコミックマーケットの位置を考えれば、関係者のみにわかる備忘録にとどめるべきではない。」と考えこの本が世に出る事になりました。
コミックマーケット以前では、作者と読者は明確に分かれていました。作者となるにはプロデビューするしかなく、そうでないと読者は身の回りの友人程度に限られてしまい、自己満足で終わってしまいます。それをコミックマーケットは変えてしまいました。作者は自分のまんがや文章を本にして、そこに集まった何百人の見知らぬ人々に自分の作品を見てもらえるのです。そして自分の作った物を気に入ってもらえればそれを買ってもらうのです。こうして作者になる敷居は下がり、誰でも作者になれるようになりました。しかも回を重ねる事にその人数は増えて行き、そしたそれに伴い作者のレベルも上がって行きました。やがて柴門ふみや高橋留美子のように同人作家からプロ作家になる人達まで現れる様になりました。
本書ではコミックマーケットが生み出される過程と、初期の状態が書かれています。当時はトナー方式のコピー機も、パソコンのプリンタも無く、本の印刷は青焼きコピーやガリ版刷りだったそうです。また参加サークル数も数十で、参加者も数百人レベルだったそうです。それが今では印刷は印刷所によるオフセット印刷が主流になり、参加サークル数は数万サークル、参加者数は50万人を越える規模になっているのです。また昔とは逆にプロデビューした作家のなかにも、自腹でコミケにサークルを出す人達もいます。
今日はTOEIC試験を受ける為に秋葉原に行って来ました。試験の結果は散々でした。多分200点にも達しないんじゃないかな。普段から英語を使っていないと難しいですね。語彙もさることながら、よく使われるフレーズや言い回しを覚えないと。「英語でしゃべらナイト」を見ているだけじゃ駄目ですね。(^^;
その後、映画「スカイ・クロラ」を見ようと思ったのですが、軒並み昨日で上映が終わった所ばかり。その中で銀座の映画館だけがやっていたので、そこに行く事に。しかし上映時間までにはまだあるので、銀ブラしてました。
銀座には中古カメラ屋さんがたくさんあります。友達がNikonのデジタル一眼レフカメラD40を買って、写真を撮りまくっているのを見て、いいなぁと思って中古価格を見てみると、3万円。思ったりより安いなと考えながら、35mmフィルム換算で、50mm程度のF値の低いレンズを探すと、ほとんど皆無。レンズが高いんじゃ買えないよなぁ。
そのあと、アップルストア銀座店に行って、話題のiPhone 3Gをいじり倒す。自分の写真を撮って入れてみたり、自分のホームページを表示してブックマークに入れたりしてました。やっぱり楽しいわ、これ。うー、欲しいよう。月々の料金があと2,000円くらい安くなりませんかね、ソフトバンクさん。
時間になったので、スカイ・クロラを見に行く。見ていない人の為にも内容は書けませんが、良かったです。もしも、自分が20才くらいの頃に見ていたら、きっともっと感じる事があったろうに。原作の方も読んでみよう。
マリオン裏にお気に入りの喫茶店「ももや」があったのですが、再開発の為に無くなっておりました。あの古びた皮のシートや窓枠が良かったのになぁ。残念です。秋葉原にもお気に入りの喫茶店「伊万里」があるのですが、こちらは再開発の魔の手を逃れたようで、無事でした。今日は寄らなかったけど、今度来よう。