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ジムに行って来た

日曜日, 8月 22nd, 2010

この前、市営プールに行くのに色々調べていたら、市のスポーツセンターにジムがある事が判明。料金も安いので行ってみる事にしました。

初心者はビギナー講習を受ける必要があるので、それに参加。ストレッチと器具の使い方をいくつか教えてもらった後は自由に行動出来ます。とりあえず初回なのでいろいろやってみました。背筋、胸筋、腹筋、足、ルームランナー、バイク。講習と合わせて一時間程運動してきました。

あまり疲れすぎないうちにと思って止めたんだけど、着替えをしているとだんだん体が重くなって来ます。車に乗る頃にはくたくたに。いままで全然運動してなかったのに急に運動したためか、疲れ方が激しいです。まあ、これから続けて行けば慣れて来るでしょう。

古炉奈が消えていた

月曜日, 4月 5th, 2010

IMG_3865

この前、久しぶりに秋葉原に行ったら古炉奈が閉店してました。
老舗の喫茶店で、そのうち行こうと思っていたのに残念です。
調べたら2009年6月14日に閉店していたんですね。
跡地はコスプレ酒場になっていました・・・

一眼レフカメラが壊ました

火曜日, 9月 30th, 2008
失敗写真1 etc
失敗写真2 etc

長年使って来た一眼レフカメラが壊れてしまったようです。このカメラは私が小さい頃、親父が中古で買って来た物です。名前は「Canon FX」。1960年代後半に販売されていた、外光露出計内蔵の布幕横引きシャッターの機械式一眼レフカメラです。

今回、子どもの運動会で使ったのですが、1/1000秒でシャッターを切っていた所、画像の様に中心部や中心から右にかけて黒くなってしまったのです。最初は指やストラップがかかったのかなと思ったのですが、長さ15cmくらいの135mmレンズを使っていたので、その可能性はありません。また、偶然人が通りかかったのかなとも思ったのですが、全体の3分の2がこのような有様なのです。これはもうカメラの問題としか思えません。

思いつくのはシャッター幕がスムーズに動かなくなってしまい、露光にムラが出来たのではないかと思われます。さすがに1/1000秒で動作する部品を自分で修理出来るとは思えないし、修理に出すと安いデジタル一眼レフカメラが買えてしまうような金額がかかることでしょう。

お金もないし、とりあえず一眼レフ以外のカメラでしのぐしかないか・・・

TOEICの結果が来ました

火曜日, 9月 23rd, 2008

380点でした。思っていたよりも良かったですが、やはり低いですね。この点数だと「レベルD:通常会話で最低限のコミュニケーションが出来る」です。

内訳はLISTENINGが240点、READINGが140点です。READINGが低いのは問題を全部解けなかったからです。40%くらい解いた所で時間切れになってしまいました。もっと読む力を付けないといけませんね。

高橋曻さん逝去

水曜日, 10月 24th, 2007

カメラマンの高橋曻さんが亡くなられた。それを知ったのはつい昨日。インターネットを検索して情報を集めると、9/3に亡くなられたらしい。

曻さんとは浮き球三角ベースで知り合った。沖縄大会の打ち上げのとき、カメラマンたちが集まって話しているとなりにたまたま居合わせて、話しの流れで「こんなの持ってますよ」と私のCanon FXを見せたら、「へー」と興味を持ってくれたのが始まりだった。「よし、じゃあ撮ってやるから」と言われて、私とカミさんの写真を撮ってくれた。会場は薄暗く、カメラにはフラッシュが付いていなかったが、照明が明るく背景が鏡になっているスペースを素早く見つけ、「表情堅いよ。もっと笑って」といいながら笑顔を引き出していたのは、さすがにプロだった。出来上がった写真はとても良い出来で、今でも額に入れて家の居間に飾ってある。

そのころカミさんは妊婦だったので、曻さんにはその後も「妊婦」と呼ばれた。大会中に何度も顔を合わせるうちに、いろいろ話す様になった。曻さんは沖縄の離島にも度々行っていると聞き、その後の新婚旅行で沖縄の離島でのんびりしたいと思っていた所だったので、どこがいいですかねーと聞いたら「竹富島が良いよー」と言われて、行ってみた。竹富島は本当にとても良く、沖縄最後の楽園だった。

その後、関東での試合で会った時、二人目の子どもがはいはいするくらいの時だった。この時は曻さんの娘さんも一緒だった。その時はContax T2を持っていたのだが、また「撮ってやるよ」と行ってくれて、二人目の子どもが一面のクローバーではいはいする所を撮ってもらった。自分でも同じ様に撮ったのだが、出来上がってみると全く別もの。同じカメラで同じ場面を撮っても、プロの写真はなんであんなに見栄えが良いのだろう。不思議なくらい素晴らしい写真だった。

最後に曻さんに会ったのは、やはり関東の大会だった。私はその時いなかったのだが、子ども三人が並んでいて絶好のシャッターチャンス。カミさんが曻さんに撮ってやるからカメラ貸せと言われたが、カメラは私が持って行っていたので手元になし。じゃあ携帯でいいからと言われたが携帯も持っていない。結局子どもが気づいてしまい、シャッターチャンスは去ってしまった。カミさんはそれが心残りだと言っている。

今、インターネットで「高橋曻」と検索するとたくさんの人が、お悔やみの言葉を述べている。また開高健さんとの本もたくさん出て来る。浮き球三角ベースは椎名さんを始め、いろんな人がいるので、曻さんがこんなに有名な人だとは思ってもいなかった。私にとっては気さくで面白い子ども好きの浮き球三角ベースのおじさんだった。

遅まきながら曻さんの冥福をお祈りします。